MOVIE

MAP

HISTORY

桶狭間の戦いは、戦国時代を終焉させた歴史上重要な出来事の一つである。 大高周辺は、織田氏と今川氏の抗争地点であり、両軍による戦いは繰り返されていた。 桶狭間の戦いは、丸根、鷲津の両砦の戦況をきっかけに、本格的な戦いが繰り広げられたのである。 まさに、丸根、鷲津の両砦は桶狭間の戦いの前哨戦であったといえる。

1 織田氏と今川氏との領土せめぎあい

・天文21年(1552)、織田信長が織田氏の後継ぎになると、鳴海城が今川勢力の属城となった。 ・その後、大高城、沓掛城が鳴海城と同じように今川勢力の属城となった。 ・織田、今川勢力の接点にある城が今川勢力につき勢力地図が塗りかえられた。 ・織田勢は、永禄2年、鷲津と丸根の砦を築いた。

2 丸根砦、鷲津砦の築城、目的、戦い

「丸根砦」 ・永禄2年(1559)、織田信長は大高城の東900メートルほどの位置にある丘陵地に築いた。 ・規模は、東西20間、南北16間ぐらい。 ・鳴海城、大高城は織田勢力の出城であったが、城主の寝返りがあり今川側に付いたため、監視の役目と した砦を築いた。 ・佐久間大学盛重など約400人が守った。 ・永禄3年(1560)5月19日未明、松平元康が2,500人の兵をもって攻撃したため、激戦のすえ陥落した。 ・松平元康は、大高城主鵜殿長助に代わり、大高城に入城し、人馬を休ませた。

「鷲津砦」 ・永禄2年(1559)、織田信長は大高城の北東約900メートルの位置にある丸根から鷲津にかけての丘陵地 にあり、鳴海方向を眺めることができる。 ・規模は、東西14間、南北15間くらい。 ・目的は、丸根砦と同じ。 ・飯尾近江守定宗、その子壱岐守と織田玄蕃など400人が守った。 ・永禄3年(1560)5月19日未明、朝比奈泰能が兵2,000人で攻め、激戦のすえ陥落した。

3 今川義元の行動

 ・永禄3年(1560)5月12日、今川義元は大軍を引いて西に向かい、5月18日沓掛城に達した。  ・翌19日、今川義元は大高に進軍中、織田軍が守る丸根砦、鷲津砦が落ちたことを知ると、桶狭間山で休息した。  ・休息後は、松平元康が守っている大高城に入る予定と思われる。

4 松平元康の大高城兵粮入れ

 ・永禄2年(1559)、大高城主から兵粮が窮する訴えがあり、今川義元は松平元康(後の徳川家康)に兵粮入れを 命じ、成功させた。

5 織田信長の出陣

・織田信長は、5月19日未明、丸根砦、鷲津砦の陥落の知らせを聞くと、清洲城を出陣した。

6 大高城、丸根砦、鷲津砦の地況

MANUAL